日本人のリズム感は良くなるようには設計されていない

はい桐沢です!
 
リズム感がいいのは遊びだったから??
 
最近僕が夜な夜な見続けているのは🇧🇷ブラジルの子供番組です。
 
ポルトガル語の国なんで全く言っていることは分からないのですが、これらの番組から何か学べば、僕らが悩んでいるリズム感への悩みが全て消えそうです。
 
この動画先生が美人なでの見る価値ありです(笑)

まずこんな疑問が湧きます。

これらのテレビ番組を見て育ち、そこで培った物を今の音楽で使っているとしたら、彼らに僕らと同じ「リズム感の悩み」などあるのでしょうか

*今回の記事はリズムのオンラインコミュティー内で出た話題を文字にしました。

遊びの中のリズム

僕らは教育の中でリズムを習いました。しかしその前の幼稚園の頃は遊びの歌や踊りの中にリズムがありました。
 
お遊戯会なんて懐かしい響きですね!
 
その時の事は何も覚えていないのですが、間違いなく僕も参加したと思います。
 
多分ブラジルでも日本でも同じ事が行われているのではないかと思います。
 
こんな感じ

先生と一緒に踊って歌う。
 
こんな経験は記憶の彼方ですが、僕らはみんなあったはずです。

「遊ぶ」から「習う」へ

僕らは楽器を始めた時にリズムを初めて数字でビジュアル化した物(譜面)に出逢います。
 
ここでは「お遊戯会」で行っていた事と全く別なものとして、初めてリズムは数字という事を教えられ
 
ここで一回「お遊戯会」で不安もなく作り出していたリズムとは完全に切り離されます。
 
この動画は僕が今年2020年に見たパフォーマンスの中でベスト5に入ります。

このパフォーマンスは先程の綺麗な先生が教えてくれる子供むけ動画やお遊戯会の延長線上にある事に気が付きませんか?
 
子供の時に遊んだ「お遊戯会」のリズムがこの素晴らしいパフォーマンスに繋がっていく。
 
この中にブラジルの子供番組でやっていた遊びの中で培ったリズムが見えます。

僕らが子供の頃

一方僕らにも同じような遊びがありました。
 
「ケンケンパ」や
「おちゃらかホイ」
 
これも完全にリズムを使った遊びです。
 
僕らは近所の子供たちと一緒に遊んでいる最中に
テンポが速くなってしまった
テンポが遅くなってしまった
テンポがよれてしまった
など悩んだことはないはず。
 
いつから僕らはリズムに悩むようになったのでしょうか?

止められてしまったリズム感

一番最初にも書きましたが、僕らは中等教育のあたりでリズムを数字に変換されます。それはそれまでの「お遊戯会」や「遊び」の中のリズムとの共通点はかなり消されます。
 
特に楽器を習うとなると、数字リズムが全てになります。
 
しかし僕が見る限りブラジルの子供たちが遊んでいる「お遊戯会リズム」はそのまま受け継がれ、このような一糸乱れないリズムのプロのアンサンブルに繋がっていきます。

僕らの一度止められてしまった
「リズム感」
 
これらを僕らは後から楽器のテクニックを使い穴埋めをしようとします。
 
その方法も「お遊戯会リズム」とは全く別の「数字リズム」を使う方法で。
 
僕らは教育により「リズムを数字で解析する以外の方法を知らない」とも言えそうで、これが教育の結果である事は間違いありません。

自分自身を音楽化する

僕らは数字のリズムの中でリズムを扱うという選択肢しか持ち合わせていない。
 
リズム感のいい定義は?との疑問に対して
 
「クリックとぴったり合う事がリズム感がいい」との答えが多いのですが
 
先程の「お遊戯会リズム」はクリックとぴったり合うために作られたのでしょうか?
 
その答えは彼らのメッセージの中にありました。それは
 
「自分自身を音楽化する」
 
人間の身体は、私たちの最初の楽器と考えてもいいでしょう。私たちは最初から、心拍、呼吸、歩行のようなリズムの存在をその中に持っています。これらは規則性、反復を伴うプロセスであり、リズミカルな参照をもたらします。
年齢やトレーニングに関係なく、特にリズミカルで即興的なスキルを身に付け、運動の調整を改善し、「自分自身を音楽化する」幅広い方法を知りたい人に適しています。最も多様な分野のプロの教育者は、ボディパーカッションの要素で彼らの教育を豊かにすることができます。

過去と現在の繋がり

僕がブラジルの子供番組から感じたのは
 
「子供の音楽に過去と現在の繋がりが見える」
 
僕らは子供の時に一切リズムに悩んでいませんした。
 
それがいつの間にかリズムに悩み始めます。
 
それは「リズムを習うタイミング」から始まっている可能性は否定できません。
 
楽器を習い始める頃には「お遊戯会リズム」「遊びのリズム」などとの関係は全て断ち切られます。
 
リズム学者の言葉
教育を受けた音楽家こそ教育を受けていない民族の音楽を聴くべきだ、なぜならそれが本当に人間が生まれ持ったリズムだから
僕らは教育を受けていない民族だった時期があります。その後にその時期とは全く別な教育を受けます。
 
僕らはそれらに繋がりを感じることはないという事は
 
日本人のリズム感は良くなるようには設計されていないのかもしれません。
 
こちらでさらに西洋リズム教育には弊害があるという事を記事にしています。
 
今日のLAからはこんな感じです。
みなさま良い1日を!
 
桐沢でした。

シェアしてくれるとアメリカから喜びます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です