アメリカ苦労話 *音楽は除く

はい桐沢です!

僕は2006年にLAにあるLos Angeles Music Academyのイチ留学生としてアメリカ生活をスタートさせました。

今このブログを書いている時点で14年と半年LAに住んでいます。

学校を卒業した後、学生という身分ではなくなりLAという荒野に投げ出され、全て0から始める音楽生活を始めたのですが、音楽に関しては簡単にはいかない事は分かっていました。

未だに音楽に関しては苦労を苦労したとは思わず、ラッキーだったなぁ位に思っています。

仕事を始めた時はiPhoneの初代が出る何年か前だったので、Google-Mapもない時代。毎回Map-questという地図サイトで確認し、紙に地図を書いて仕事に向かっていました。

ダ・モンでLAで仕事を始めたばかりの頃の苦労は「仕事場に無事辿り着けるか?」でした。

「LAでミュージシャンとして仕事をする」というと華々しく聞こえますが、実際はそんな事はなく音楽以外で色々と泥臭い事はありました。

今回はそんな華々しいイメージとは裏腹な僕の泥臭いアメリカでの音楽生活の裏側をブログにしてみました。

アメリカでかい

アメリカは僕らの想像以上に大きく、1万5千円の仕事で往復5時間運転なんてざらです。
 
例えば演奏スケジュールはこんな感じ
・9時スタート
・45分x4セット
・深夜1:30終わり
 
なぜこのスケジュールかというと

カリフォルニア州の条例で深夜2時にお酒を提供する店は閉めなくてはいけないので、1時半に演奏を終え、お客さんを出口に向かわせます。
 
その後、僕らは片付けに入りますが、ドラムセットなんで片付けるのに時間がかかります。
 
マイク一式を落ち込む場合があるので30分はかかり、それを全て車に載せ、ギャラをもらい家路に着く。
 
大体家に着くのは朝の3時半は過ぎますね。そこから色々して寝る、、、。で朝10時のセッションに間に合わせる。
 
僕は家に帰りたい派なので時々ホテルがあったとしても4時間くらいなら演奏後は帰ってきてしまいます。
 
最初は楽しんでいましたが、年間4万キロ、それを13年。 
 
流石に疲れました。 
 
計算したら月に余裕で行ける走行距離数です。
 
下手をするとギャラの30%がガソリン代という事態にもなり、ハイブリットカーでないと生きていけません。
 
ちなみに今の僕のプリウスの走行距離は31万キロ。 
 
まだまだ走ってもらう予定です。
 

よく疑われる

アジア人のドラマーというのは多くないので、初めての会場のセキュリティーの方は僕を信用してくれません。
 
いくらドラムセットを運んでいたとしてもトラブルはあります。
 
夢の国 ネズミーランド 
 
ここで初めて演奏した時は前日に電話があり、レギュラーのドラマーが行けないから明日代打としてネズミーに来てくれと。
 
もちろんネズミーはセキュリティーがしっかりしていて書類を元にパスを発行してもらえます。
 
しかし僕は前日電話で「明日来てくれ」だったので書類を持ち合わせていませんでした。 
 
それらはリーダーが持ってきてくれることに。
 
僕はドラムセット+パーカッションもあったので会場には30分ほど早くつき、楽器を下ろしていました。
 
その時いきなりセキュリティーに囲まれ尋問を食らうことに。
 
白人の警備員4人に囲まれ「お前、アジアの大道芸でも勝手にネズミーランドの中でやるのか?」的な、かなり上からの尋問を喰らいました。
 
その日の演奏はこちら

他には初めての現場でドラムをセッティングしている時に、
「誰かのセティングを手伝っているんでしょ?」
「本当のドラマーはどこ?」
などありました。
 
大体その後に僕が演奏するとそれらの人は目を丸くしていました。 
 
これはこれで気持ちが良いものです。
 

スケジュール

実は一番苦労したのがここ!
 
僕のいるLAでは平日はセッションとjazzライブが多く、お金になるライブや演奏の仕事は週末になる事が多いんです。
 
それはやはり週末の方が平日よりも集客を見込めるからです。
 
となると仕事が週末に重なります。 
 
その時に理想では「一番最初に来た仕事を優先する」なんですが、正直ギャラの高さも仕事選びに繋がります。
 
一応僕の中でルールはあって$200以上 *2万円以上差がある時は高い方を取ります。
 
しかしここで一番最初に来た仕事に「ごめん」の一言で終わらせる事はしません。ちゃんとその仕事を成し遂げることが出来る代わりのドラマーを送ります。
 
しかし
 
最初は自分の信頼できる生徒を使っていたのですが、その生徒たちも徐々に演奏仕事が増えて忙しくなり、なかなか僕のサブ(代わり)に行けない状態に、、。
 
ミュージカルの仕事なんて特殊技能みたいな物なんで、そう簡単にサブは見つかりません。
 
サブを送ろうが、その仕事が滞りなく遂行される事に全力を注ぎます。
 
先ほどの$200の差というのはココに関係していて、サブを準備する労力は$200と自分の中で設定しています。これ以下の差だった場合はギャラが安くても最初に受けた仕事に行きます。
 
ここで「僕は仕事がたくさんあって凄いだろ」と言いたいわけではなく、LAにはそれだけ仕事が多かったんです。
 
少しでも余裕を持って音楽に取り組みたいためにギャラの多い仕事を選ぶのはプロとしてだけではなく、人として間違っているとは思いません。
 
しかし仕事先にも迷惑をかけれない。
 
この攻防に13年も悩んでいますが、いまだにいい解決方法は見つかってません。
 
実はこの話をLAの売れっ子ミュージシャン達に聞きまくっています。
 
いろいろな答えが返ってきますが、今の所一番しっくり来ているのは
「年間で考え、お金を多く払ってくれるクライアントを優先」
 
「一回のギャラが高くても年間で考えた方が良い」
 
これがプロとして一番納得できました。
 

日本人として

お金を理由に仕事を断ったり、代わりを送るのはアメリカでは普通なので日本とは違うかも知れません。
 
全てに筋を通せない場合もありますが、ビジネスの中では当たり前の事で日本人の感覚からすると少し違和感があるのも分かります。
 
その分、日本人のビジネス感覚は重宝される事も事実ですし、僕自身も日本人というアドバンテージをフルに使ってきました。 
 
例えば「ToyotaやSonyなどの日本ブランド=信用できる」と先人達が作ってくれたおかげだと結構本気で思います。
 
僕もこのイメージを崩さないうように、もう少しアメリカでミュージシャンをやって行きます。
 
最後までありがとう!
 
LAより桐沢でした!
 

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