僕らの知らないリズムの世界

はい桐沢です!
 
先日YouTubeに出したリズムの歌い方「んど」が好評でしたので、今回はこれを深堀してみたいと思います。
 
簡単にいうと僕らの日本語でのリズムの歌い方「タンタンタン」とアフリカの歌い方は大きく違い、アフリカの歌い方「んどんどんど」は身体とのシンクロ率が半端ない
 
この歌い方はアフリカの心臓のリズムの歌い方です。
 
日本語での打撃音「どん」は「ど」がメインの音で「ん」が後にきます。
 
しかしアフリカ式では「んど」で「ど」がメインなのは変わりませんが「ん」という準備音が先に入ります。
 
今までの僕らの4分音符の歌い方は「タンタンタン」でしたがアフリカ式に変えると「ンタンタンタ」
 
メインの音の「タ」は変わりませんが、準備音の「ン」の位置が先に来るだけで、身体とのシンクロ率が上がります。
 
よって「壁ドン」もアフリカ式で言うと「壁ンド」(なんの話?)
 
今回は僕らの常識とリズムが生まれた場所アフリカの常識の違いをブログにしてみます。
 

数字というリズム

僕らはリズムを今まで数字で習い、そこに疑問を持つ事はまずありませんでした。
 
例を挙げる必要も無いかもしれませんが
4分音符
8分音符
3連符
16分音符
など僕らの知っているリズムの表し方には全て数字がついています。
 
音楽教育を受けた人でこれらの言葉を聞いた事がない人はいないと思います。

数と数字の違い

ここで抑えておきたいポイントは「数と数字の違い」

こちらのサイトから拝借します
https://www.soroban.or.jp/howto/hajimari/

まず数字の始まりは

1~9のアラビア数字は、2000年前にインド人が考案し、世界中に広まりました。
インドでは、紀元前にすでに1~9のアラビア数字が使われ、0は7世紀初め頃に誕生し、世界中に広まりました。

2000年前と聞くと大昔ですが、その前に人類はアフリカで誕生していました。

その頃には数字ではなく数という概念があり

数の始まりはこのようだと

鳥や魚、けものをとって暮らしていた時代には、大きさをくらべたり数をかぞえたりするのに、縄の結び目を使ったり、棒や木の幹に刻みを入れたりすることなどをして、数を記録しました。

リズムは数字ではなくこの数の考えに近く「数字と数」どちらが先かを考えるとアフリカでリズムが生まれた時は数字がなかった。

アフリカに限定する必要も無いのですが、地球規模で言うとリズムが誕生した時には数字がなかった。
 
とも言っていいのでは無いでしょうか?

アフリカに数字が来た日

あるアフリカのピグミー族は、西洋人が入植してくる前まで、数字の概念がないため誕生日を記録する習慣がなかったそうです。
 
アフリカに西洋人が入植したというのは17世期で今から400年ほど前です。
 
ピグミー族を追ったドキュメンタリーの中であった話なのですが、この時「誕生日を知らないなんて!」と驚いた西洋人の宣教師が善意でピグミー族の誕生日の記録付け出しました。
 
これは僕はただの美談とは受け取れないのです。
 
僕らの感覚からすると誕生日を知らない事は不幸と感じますが、アフリカの人たちにとってはどうだったのでしょうか?

白人の責務

白人の責務とは1907年にノーベル文学賞を受賞したラドヤード・キャプリングが1899年に書いた有名な詩です
白人は、アジア・アフリカなどキリスト教が普及していない地域に赴いて、現地人のために奉仕する責務がある、その奉仕とはキリスト教文明を教えてやることで、そのありがたみが分からず抵抗するならば、戦争をして強制的に文明化してやるべきだ
この白人の責務からみると「数字を持たない民族に数字を教えるのは文明国、白人の責務だ」となり
 
それまでのアフリカの文化を否定し破壊したとも言えるからです。
 
こちらで西洋式によってバラバラにされたリズムというブログを書いています

時間軸の違い

リズムが生まれた場所アフリカでは、時の流れも違うようです。
 
ここはまだまだ僕も掘り下げたい所ですが
 
過去、現在、未来 との僕らの当たり前だと思う時間軸がないらしい。
 
「全て同時に起こっている」「ずっと現在を繰り返している」
 
僕らの頭では簡単には理解できそうにもありませんが、この話はアインシュタインの相対性理論や量子力学で説明がつくそうです。

時の測り方

僕らは数字の世界に生きています。
8月18日
午後3時40分
3週間
5分前
2020年など
 
誰にでもわかりやすいため、現在では数字は世界の共通言語とも言えそうです。
 
その西洋人が持ち込んだ数字の文化の前までアフリカではどのようにして時を把握していたのでしょうか?
 
それはバナナ
 
この本にこのような話が出てきます。
 
「旅に出る時には真っ青なバナナを持っていき、それが熟れて食べごろになったら家に帰る時だと知る」
 
僕らが数字で測る「時」を彼らは「バナナ」で測っていたんです。
 
今の僕らからすれば不便極まりない世界観。

翻訳されたリズム

僕らはバナナの国(アフリカ)で生まれたリズムを、西洋式の数字に翻訳されたもので習ってきました。
4分音符
8分音符
3連符
16分音符
 
つまり僕らは本当のリズムの姿を学んだわけではなく、翻訳されたリズムをリズムだと思い習ってきたとも言えます。
 
これを英語教育と考えると分かりやすいです。
 
やはり僕らも英語を日本語で習います。

これは少しやりすぎですが(最高に笑えますw)
 
英語を日本語で訳したもので英語を習う、勉強法も日本語、で日本語で考える。
 
例えば、動詞、過去分詞形など完全に日本語で、英語を日本語の理論変え習っています。
 
なぜならば、その方が僕らの理解度が早いから。
 
認めたくはありませんが、もしかしたら僕らもこの志村けんの英語のような発音でリズムを習い演奏している可能性は否定できないかもしれません。

世界観の違い

翻訳したリズムは分かりやすく、伝えやすいために世界の音楽教育に採用されています。
 
例え地球の裏側にいようが、4分音符と伝えれば同じ音楽教育を受けた人であれば共通言語として一瞬で理解できます。
 
事実、僕はロサンゼルスでこのブログを書いています。おそらく読んでくれている皆さんは地球の反対側の日本にいます。
 
西洋式は便利なんです。
 
バナナで時間を知るより、時計で時間を知った方が便利なのは言うまでもありません。
 
リズムも数字で便利にした方が伝えやすいのも間違いありません。
 
という事は便利ではない姿があるという事。
 
その世界は僕らの日常とはかなりかけ離れています。
 
なぜならば「時計」と「バナナ」同じ時間を測るものなのですが、ここまで違う。
 
という事は僕らの知っている数字のリズムとアフリカで生まれた元のリズムの世界観は
 
「時計で時間を測る」と「バナナで時を測る」くらい違うのです。

知らない世界がある幸運

リズムの歌い方の違いだけでなく、ここまでリズムの世界観が違う。
 
僕らのリズムへの悩みは「テンポが走る、遅くなる」これは数字が変わるという事とも言えそうで西洋式。
 
数字で作られたメトロノームでトレーニングするという事も西洋の数字の世界。
 
僕らは西洋式で悩み、解決策も西洋式の中だけで探すしかないのです。
 
ここを突破するには僕らは「まだリズムの世界を半分しか知らない」との価値観を持てればリズムの世界が広がりそうじゃないですか?
 
選択肢は世界の文化の違いくらい多くあって良いのだと思います。
 
僕のリズム感の良い定義「絶対に崩れない4分音符を持つ」これには
 
4分音符が4分音符と名前のつく前の4分音符」を僕らの知っている西洋式の世界、西洋式の言葉以外から探す必要がありそうです。
 
いっしょに探していきましょう!
 
ロサンゼルスより桐沢でした
んちゃ!

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