はい桐沢です!
今日はめんどくさい話は一切置いておいて、僕が最近見まくっているリズムが素晴らしい動画を2つ紹介します。
僕らは楽器演奏の上達の過程でリズム感の良し悪しを判断することがほとんどですが
リズム感に悩む前に、はたして自分は『リズムに興味があるのか?』
それを知るために楽器以外からリズムを感じてみましょう!
リズム好きですか?
最近僕が度肝を抜かれた南アフリカの大学の合唱団
ただ見て下さい
リンクの開始10秒ほどでリズム感の素晴らしさにぶっ飛ばされます。
なんでしょうかこのリズムの一体感は!!!
練習なのか
僕らはこの「なぜ?」を「練習したから」以外の可能性を探る事がなかなかできません。
僕はアメリカの学生時代に世界各国の生徒を見てきましたが、日本人ほど練習に没頭する民族はなかなかいないと言えます。
しかし反面、僕も含め「練習でしか音楽と向き合っていない」とも言えそうで、練習や楽器演奏以外で音楽と向き合う事が圧倒的に足りていないと感じます。
リズムは1234?
今度は国を変え🇧🇷ブラジル
最近僕がハマりにハマっているボディパーカッション集団
barbatuques
この動画もただ見て下さい
音をピンポン球のように弾いてリズムを表現しています。
注目すべき点は、ここまで複雑なリズムなのですが、誰もそのリズムと格闘していない。
もし僕らがこのパフォーマンスを真似るとしたら、どこかで常に『1・2・3・4』と数えないと何もできなさそうです。
僕らはリズムを『1・2・3・4』と数えますが、これは本当にリズム感を正しく表していているのか? といった疑問を僕は持ちます。
1234をやめろ!
僕の人生を変えた言葉
『アメリカの音楽教育には重大な欠陥がある、それはリズムを譜面で教えてしまった事だ』
この言葉を言ったハル・ガルパーも
Jazzのリズムは1・2・3・4ではない、今すぐそのカウントをやめろ
となかなか強烈な事を言っています。
楽器演奏=リズム向上?
僕らミュージシャンは「楽器演奏」に憧れて音楽を始めた人が大半でしょう。
これは僕も同じです。しかしその途中でリズム感に悩みます。
解決方法もやはり「楽器演奏」の枠の中をでません。
もしあなたが今回紹介した彼らの「楽器演奏」とは違った「リズム」に全く何も感じないのであれば
「リズム」に興味があるのではなく「楽器演奏」に興味がある
と言えそうで、もしリズム感に悩んでいるのであれば、その枠を取り払う必要があります。
リズム感を向上させるノウハウやハウツーは探せばいくらでも出てきますが、それらに手をつける前に
「自分はリズムに興味があるのか?」
こんな事を自分に聞いてみる事をしてみてはいかがですか?
こちらで『譜面になる前のリズム』をブログにしています ぜひ!
LAからは今日はこんな感じです!
みなさん良い1日を
桐沢でした。
ご一読頂きますと、幸いです。
子どものことで、何か教えて頂けたらありがたく思います。
以前、YouTubeに投稿されていらっしゃった、
世界最高峰プレイヤーが語るグルーヴ
Carl Saunders
という動画の中で、カールサンダースさんがおっしゃっていたことが、子どもが似ていると思い、嬉しくなりました。
小学校一年生ですが、メトロノームを使う前から自分のリズムを持っていました。合いの手を入れたりして、自分の心に確固たるものがないと、出来ないのではないかと思います。
同じ音楽を同時に流して、1秒ずれるとやり直したりします。カールサンダースさんのある演奏を聴いたとき、ずれていないと言いました。
歌手の方とオーケストラが演奏しているのを聴いてずれていると言ったりします。
きつつきの音、人が歩く音、ボタンの音、打ち寄せる波の音、など自然界の音がリズムに聞こえてくるそうです。私がリズムを教えたことは一度もありません。ただ本人が感じて楽しくて、勝手に体が動くように自然です。
音楽はなんでも聞きます。特に決まりはありません。私は詳しくないのですが、クラシック、ジャズ、ポップス、ゴスペル、ケルト、アイリッシュ音楽、などです。クレイトンキャメロンさんのブラシが好きで、音が数字に聞こえるそうです。
記憶が得意で、本人は意識していませんが、耳で聴いて何でも覚えます。
何にも縛られず、自由に感じるままに音楽を楽しむ心を育てたいのですが、親の私に何ができるでしょうか?どのような小さなことでも構いません。何かアドバイスいただけますか?
西木さん
コメントありがとうございます。非常にお子様の可能性を感じるお話と、それに対するお母様の理解と尊敬を感じられ、こちらまで嬉しくなりました。
僕はかなりリズムと教育に関してオタクなので、もしかしたら少し熱が入りすぎた返信になるかもしれませんが、ご容赦ください。
まず一つの言葉を先に伝えたいのですが、『西洋式の音楽教育の行き届いていない民族では、全員が音楽家、ダンサーや芸術家となる』
これは音楽人類文化学者が口を揃えていう言葉です。
この言葉を大人である僕らは少し考えなくてはいけないと思います。
おそらくですが西木さんが子供の頃に遊び、例えば『おちゃらかほい』
遊んでいる時に、音程が違う、タイミングが違う、テンポが走っている、など一切心配することなく歌い、踊り、リズムで遊んでいました。
それがのちの音楽教育の中では、リズムは数字となり、数字に少しでも合わないとダメとなり、数字に正確な機械になることを目指します。
いわばリズムをストップウォッチで測ることを目指します。
しかし実際の現場では『リズムをもっと感じて』などリズムは数字で測るものから、いきなり感じるものになります。
このギャップに気付く人もいますが、教育の中ではリズムは測るものとなり、僕らは感じる事を止められしまったおかげで、もともと感じていたリズムを感じることができなくなり、迷いに迷っています。
教育では埋られないところが『感じる』
西木さんのお子様はこの『感じる』ということを持っていて、それを言葉に出来る。
これはプロのドラマーの僕でさえ、いまだに追いかけているところです。
追いかけているという表現があっていなく、僕自身が失ってしまった物を『思い出す』の方が正しい。
簡単にいうと西木さんのお子様がが羨ましいです(笑)
おそらくですが、僕も子供の頃に同じような感性を持っていたと思います(と思いたい)
これは僕だけでなく、人種に限らず子供のことは誰しもが持っていたと思います。
しかし西洋式一辺倒の教育でこれは奪われます。
なぜならば最初の言葉
『西洋式の音楽教育の行き届いていない民族では、全員が音楽家、ダンサーや芸術家となる』
僕らは子供の頃はもれなく全員が『西洋式の音楽教育の行き届いていない民族』だったのです。
個人の感性を育てるのが音楽教育の理念と言いながら、感性など入り込む隙間がないような教育になっているのが今の日本の状況です。
これに関した動画を近々投稿するつもりなので、楽しみにしていてください。
長々すみません。ちょっと音楽教育には思い入れがありますので、、
的確な答えを文字だけでお伝えすることはできませんが、今の西木さんのお子様が感じていること、おそらく僕ら大人が失った感性で、リズムの真実に近いと思います。
これをいかに阻害しないか?
伸ばしていくには?
ここだと思います。
しかしこれは残念ながら日本のほぼどこの教育機関に行ったとしても潰される可能性があります。
理由は長くなりますが、人間としての生まれ持った感性は全く関係ないものとし、西洋式の技術のみで音楽を教えるというサイクル
幼稚園、小学校、中学、高校、そして教師を育てる大学などの専門機関が何世代(明治維新以降)にもわたって繰り返され、
文部省は認識をしているのですが、西洋式のみを教えるというサイクルから方向転換ができなくなっているという状態になっています。
この中で西木さんのお子様の素晴らしい感性は伸びる事はあるかもしれませんが、同じくらい今の素晴らしい感覚を失う可能性があると言えるかもれません。
ここまで読んでいただいて僕は西洋式を完全に否定していると思われがちですが、実はそうでなく、西洋式と人間の元々の感性のバランスが大事だと常に考えています。
しかし今の日本の音楽教育は西洋式一方に傾きすぎてしまい、バランスがイビツです。
このバランスを元に戻す(人間の自然な感性)作業に僕はアメリカで日々奮闘しています。
おそらくですが、西木さんのお子様が持っている感性をそのまま持ち続けた人が『天才』(あまり好きな言葉ではないのですが)と呼ばれる大人になっていくのだと思います。
これは『天才』が特別なのではなく子供は全て天才になれる可能性がある。
ちょうど頭が冴え切っている時に西木さんからのメッセージを読んだため、いきなり長文を送ってしまいました。
最後に宣伝みたいで申し訳ないのですが、もしよろしければ僕のレッスンを受けてみませんか?
その人間の感性の世界と数字の世界の関係や、僕ら大人が後進に見せるべき姿などを話しています。
https://note.com/satoshi_groove/n/nc5a03a7a73d5
詳しいことはこちらにまとめてありますので、お時間がある時に読んでいただけると幸いです。
長々と失礼しました。
メッセージありがとうございました!
桐沢