リズム感は才能なのか?

はい桐沢です!

僕はアメリカでリズムというものを使いながら生計を立てている傍、本当のリズムからグルーヴの秘密を探っています。(と言いたいところですが、この世界的なパンデミックのおかげで秘密を探る作業がメインの活動になっています)

そのリズムに付随する物『リズム感』に関してよく言われるのが『才能』『文化の違い』『血の違い』という言葉たち。皆さんも聞いたことはあると思います。

リズム感の才能というのは、
・人より突出したもので、普通の人は持っていない
・才能のある人は生まれた時からその才能があるもの
・生まれ育った環境がリズム感を育てそれが才能と組み合わさる 
 
パッと思いついたものですが、皆さんもだいたい同じようなイメージではないでしょうか?
 

アメリカで日本人ドラマー

『才能』『文化の違い』『血の違い』
 

この中で的確にリズム感という言葉に直結するのは『文化の違い』だけだと今の段階では言えます。もしリズム感が『才能』だとしたら残念ながら僕には『才能』はありません。

なぜならアメリカの音楽学校を出た後も『リズム感』という正体不明な物に苛まれ、長い間アメリカ人の中でちぐはぐな演奏を続けていました。もし僕に『才能』があればあの何年にも及ぶ苦労はなく、LAですぐに一流の仲間入りが出来たはずです。

しかし『文化の違い』というのは日常的に感じます。これは異国に移り住んだ移民だからこそ感じることで、アメリカで育った人、日本で育った人ではなかなかこの『違い』に気づけるものではないと思います。

では『血の違い』はどうなんでしょうか? 正直わかりません。僕は100%純血の日本人ですがアメリカでリズム使った商売を13年以上続けています。この『血の違い』は人種のことを指しているのであろうと思いますが、『環境の違い』の意味合いも含まれている事は間違いなさそうです。

もしかしたらこれらの言葉は、『リズム感』が正体不明な物だからこそ、『才能』や『血の違い』という枠の中にこれらを閉じ込め、アンタッチャブル的なものにし研究する余地を生まない物にしているのではないか?

そのアンタッチャブル的な物に対して楽器演奏の技術という一つの切込み方しか僕らが持っていないというのも現実だと言えます。

『才能を技術でカバーする』これはわかります、僕も才能というものには憧れがありなんとか近付きたいと思うのは人として当たり前です。
 
 
結局リズム感に対して『才能』『環境や血の違い』この堂々巡りの中、僕らはトレーニングというもので溝を埋めようとする以外の発想をこれまでは見出せる事ができませんでした。
 
しかし本当にトレーニングという行為しかグルーヴやリズム感やという物を鍛える道は無いのでしょうか?

スティーヴ・ジョーダンの後悔

以前僕はこんな動画を出しました。

スティーヴ・ジョーダンの後悔から彼が世界最高峰のグルーヴドラマーになった経緯を僕なりに解説しています。
 
長い間、僕はここLAで路頭に迷ってたグルーヴ難民でした。
何がグルーヴなのかもわからず、いつまで経ってもアメリカ人の中でチグハグな演奏を続ける。そんな苦しい時代が何年も続ききました。
 
そんな中、僕がしたのがスティーヴ・ジョーダンの辿った道を真似する事。
 
彼の奏法、楽器、録音された物にフォーカスすることは十分にされてきましたが、彼のコンセプトに注目している人はあまりいませんでした。
 
世界一のグルーヴドラマー、スティーヴ・ジョーダンがした事は歴史を辿るという事。おそらくこれは彼が誰かが出した答えをなぞったわけではなく、自分の経験から『歴史を学ぶ』という事に興味を持ち、探求していった。 その結果、今の彼がある。
 
自分で考え、仮説を立て自分なりの真実を追求していった
 
これは先ほど紹介した動画で解説しています!
 
楽器の演奏方法でリズム感やグルーヴを突き詰めるのではなく 『歴史の中に答えはある』という仮説をスティーヴ・ジョーダンは立て自ら真実を追求していった。

リズムには歴史がある

僕が発信しているアフリカン・コンセプトの一番最初の入り口は、スティーヴ・ジョーダンの仮説を僕なりに検証して行った結果です。
 
これは後付けなんですが、彼のDVDの最初はアフリカから始まります
 
それに彼の企画したコンサートもアフリカから始まっています
 
彼の示してくれた『歴史からグルーヴを探る』いう事をしている途中でこんな疑問や気づきがありました。
・昔の人の方が本当の意味でリズム感がよかった
 
・アメリカは踊るということが大きな娯楽だった
・ミュージシャンは人を踊らせ、自らも踊った
・リズムが娯楽だった
 
・そもそもトレーニンングという概念はあったのか?
・あったとしたら僕らがやっている事と同じなのか?
 
・教科書・授業などで僕らは誰かが作ったリズムの学習方法をなぞって来ただけ
・自分で考えるということが足らないのでは?
・自分で考えず、誰かの考えだした物に疑問を抱かず、なぞってしまった
 
・今まで言われてきたリズムトレーニングはLAでの環境ではあまり役に立たなかった
 

自分で仮説を立てる重要さ

リズム感とはこうなんじゃないか? との僕の考えた仮説
 
それをアメリカの中でプロドラマーというアウトプットで僕は何年も検証し、自分なりの真実を追求しています。 実体験から疑問を持ち、仮説を立て、実験をする この作業をLAの実際の現場で10年以上しています。
 
その結果、アフリカにたどり着きました。
 
しかもアフリカに興味を持った事でリズムを研究する人に大勢出会い、僕の立てた仮説は間違っていなかった事も分かりました。
 
これは『リズム感』という才能ではなく全て自分の必要から生まれた好奇心であり、誰かの出した答えをなぞったわけではありません。
 
この情報過多の現代社会 僕らは膨大な情報に囲まれています
(その分、実体験しなくてもあたかも知ったように錯覚してしまう)
 
そのため自分で疑問を見つけ、自分で問い、自分で仮説を立て、自分で検証していくという行動力が弱くなっているのは間違いなさそうです。
 
もしリズムに関して生まれつきの才能があるのだとしたら、その差を埋めるのは興味、好奇心を持ち自分で考える力を持つ事で、才能やトレーニングよりも優先させる事だと思います。
 
誰かの考え出したものをなぞってしまう 今までのリズムトレーニングに対して
 
・なぜそれがいいのか? 
・どのようにすればいいのか? 
・意味はあるのか?
・リズム感のいい人は同じことをしたのか?
僕だったら
スティーヴ・ジョーダンが同じことをしたのか? (多分していない)
 
アフリカ人は同じトレーニングをしたのか?(絶対にしてない)
 
自分だったらこうするなど自分の考えを入れ、ただのトレーニング止まりにせず、アンタッチャブルと思われている『リズム感』への突破口を探す。
 
このリズムへの好奇心が『才能』よりも『リズム感』を鍛える大きな要素ではないでしょうか?
 
最後までありがとうございました! シェアして頂けるとLAで僕が飛び跳ねて喜びます!
 

シェアしてくれるとアメリカから喜びます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です