練習は自信のため

皆さんリズム感に自信はありますか?
 
ここで「ある」と答えた方は本当にいいリズム感を持っている可能性は大いにあります。
 
アメリカに14年も住んでいると、自分の日本人としての感覚とアメリカ人の感覚、習慣、物事への向き合い方や捉え方などが全く違うという事を嫌でも思い知らされます。
 
僕が感じる日本人とアメリカ人との違いは
 
食べ物の趣向、異性への接し方、服装、笑いのポイントなど多岐にわたりますが、その中でも僕が感じる大きな違いは「自信を持つ」事だと思います。
 
それが僕の永遠のテーマ「リズム」とどう関係するのか?
 
そんな話をしてみたいと思います。

アメリカで日本人ドラマー

僕はYouTubeではドラマーのくせにドラムを一切出さないエセドラマーとして偉そうに講釈を垂れていますが
 
実際の僕のアメリカでの演奏経験は全てドラマーとしてのものなので、どうしても例え話がドラム目線になってしまいますがお付き合いください。
 
僕はJazzビックバンドでも演奏する機会が多いのですが 
 
基本的にはそこには
ホーンセクション
サックス5人
トロンボーン4人
トランペット5人
 
これに
リズムセクション
ピアノ
ベース
ドラム
 
計17人のミュージシャンが同じ音楽を作り上げる「チーム」として参加します。
 
この時にそのチームの「影のリーダー」はドラマーの僕になります。
 
ここで僕が自信なさげな空気を醸し出していたらどうでしょうか?
 
影のリーダーなんで「裏でほくそ笑む」くらいでいるべきでしょう。
 
このメンタリティを作るのは大変、、。
 
僕はカウントの前に「Let’s go dogs!」「行くぞイヌども!」と世界一流のメンバーに言い放ちます。
 
これは正直にいうと自分への気合い入れです。日本人の美徳の「謙虚」や「謙遜」を全て忘れ
 
俺がアメリカ人をリズムで操っているんじゃぁ
 
と演奏中はマジで思うようにしてます。
 
これぐらいではないとアメリカ人の中でやっていけません。
 
「Let’s go dogs」と僕が言った後にメンバーが「アオ〜ん」と返してくれると信頼関係が出来上がっているのを感じます。

ステージを特別な場にしない

ステージの上で堂々とした態度をとる工夫はしています。
 
それは
普段の態度からジャイアン気質を装う
ドラえもんのテレビ版ではジャイアンは嫌やなやつだけど、映画だとかなり頼りになるみたいな
 
もちろん僕も緊張と自信のバランスが取れない時もあります。

 
この曲は複雑なメドレーなので譜面は先にもらっていました。
 
初見演奏とは言えませんが、リハーサルもなく一発本番だったのでかなり緊張していますよね、、
 
顔に出ています。

練習の目的

楽器の練習の目的は「自信をつける事」である事は間違い無いと思います。
 
練習し習得した楽器の表現方法で何かを人に伝える。
 
この時も自信を持って人に伝える練習の意味が無くなり本末転倒になります。
 
という事で最終的な練習の目的は「自信をつける為」と言えるのでは無いでしょうか?

暫定世界Topの我々

日本人ほど真面目に努力をする民族というのは中々出会えません。まあ僕もアメリカにいる全ての民族と接したわけでは無いのですが、
 
世界真面目に練習に取り組む民族ランキングというものがあるとしたら、僕ら日本人は上位2位に食い込む事は間違いありません。(まだ出会っていない民族がいるため謙虚に言って2位 笑)
 
ではなぜ僕らはこれだけ練習に真面目に取り組んでいても「世界に誇れます」と胸を張って言えないのでしょうか?
 
僕らは「自信をつける」為に練習をたくさんしますが、現実の世界では、その練習の目的「自信をつける」事とは全く反対の習慣を持っています。
 
僕が思う一つの原因は
謙虚や謙遜
僕らが日本人としての美徳です。

謙虚や謙遜のデメリット

よく居酒屋のトイレに書いてある「10箇条」的な物の中に必ず入っている言葉
 
「謙虚」と「謙遜」
 
もちろんこれらには良い所もたくさんありますが、デメリットに気づく事はアメリカに来るまでありませんでした。
 
僕ら日本人の美徳に何かデメリットがあるなんて想像もしたことがないというのが正直な所
 
アメリカでの音楽学生時代の話
 
必ず授業の中で僕ら生徒がその場で出された課題を全員の前で初見で演奏するという事が毎回あります。
 
僕が全員の前で演奏を終え自分の席に向かっているとクラスメイトが僕に両指の親指を上げて!
 
「すげー良かったよ!」と満面の笑みで声をかけてくれました。
しかし僕は手のひらを下に向け左右に揺らす行為で
 
「イマイチだよ まだまだ」
 
英語でいう「So So」と無意識のまま謙虚に控えめに答えました。
 
そのクラスメイトはその直後に少し声を上げ
 
「なんで俺が褒めてんのに否定するんだ!俺の意見を否定するな!」と
 
これには驚きました。
 
僕はその時まだアメリカに来て数ヶ月。褒められても謙虚に返すことが当たり前だと。
 
それがアメリカ人には否定ととられてしまう。
 
だ・もんで最近は褒められたら素直にありがとうと返すか、大袈裟に「僕はスーパー日本人だから」とか返しています。 
 
これは半分自虐っぽいですが、自分にも自分でマイナスな言葉は掛けないようにしています。
 
これらの発言は見栄っ張りではなく、自信という後ろ盾があれば自分への大きなプラスとして働きます。
 
もちろん演奏にも直結します。

低く見積もる礼儀作法 

他人から褒められた時に過剰に自らを否定して謙虚、謙遜を発動してしまう、
 
褒められ慣れていないメンタリティ
 
Twitterでのプロフィール、楽器演奏の投稿も
未熟ですが
下手くそですが
イマイチですが
まだまだですが
と自分や自分の表現したい事を下に見積もる事が僕らの礼儀作法となっています。
 
お土産を渡すときも
つまらない物ですが
お嫁に行くときも
不束者ですが、よろしくお願いします。
Twitterもそうですが、何か批判を恐れて最初から自分や自分の表現したい事を下に見積もる事が礼儀と混ざり合い僕らの能力値を自ら下げています。
 
これは脳科学的にも立証された能力が下がる習慣です
 
このブログのタイトル、
人生が(わりと)変わるリズムの話が良い例です。
 
もしタイトルが
人生が変わるリズムの話
人生が(わりと)変わるリズムの話
どっちらが僕らの耳には効き馴染みやすいでしょうか?
 
これは僕なりの日本人としての礼儀です(笑)

慣れていない

僕らは「褒める事」と「褒められる事」に慣れていない
 
「調子に乗るな」と言われる事を恐れ自分のリミットを低く見積もってしまい礼儀として自分の言葉でも自分を低く見積もる。
 
それが僕らの能力に制限をかけているとも思わず、それが日本人としての美徳のあり方として文化に根付いてしまった。
 
自信を持つ事と、調子に乗る事の線引きが曖昧になり、とりあえず下手に出てしまう。
 
バンドも全く同じです。自信のないドラマーに音楽を一緒に作り上げる土台を任せられますか?
 

アドバイスとマウント

自信は簡単にはつきませんが、簡単に自分でも他人でも奪い去る事が出来てしまうのです。

アドバイスやダメ出しは非常に気をつけないといけません。

「俺、これに向いているんだ」
と物事に取り組む方が、他人からのダメ出しやアドバイスという正義のブルドーザーで
「俺、これに向いていないんだ」
と思わされた場合、今後の伸び率はどちらが高いか一目瞭然。
 
褒める事も褒められる事も苦手な僕らは、アドバイスをする事も苦手で特に「ダメ出し」は相手の自信を奪ってしまう可能性が多い事をダメ出しをする側はしっかりと認識しないといけません。
 
ここがしっかり分かっていないアドバイスやダメ出しはただの「マウント取り」になります。
 
全ての足元を支えるのは人間としての「自信」です。
 
ここをクリアーすればもっと僕らの可能性は伸びるはず。

ロジックを知る

もしあなたが全てにおいて自信を持っていないなら「自信の付け方」などの自己啓発的な本を読み、メンタルを強くするトレーニングをするのも良いですが、僕のおすすめはこちらの本
 
 
なぜ僕らが他人の自信を奪ってしまうメンタリティを持っているのか? 
 
これをズバッと言葉にしています。
 
「出るくいは打たれる」その仕組みを知る事は非常に重要になってきます。
 
ロジックを知れば心を平静に保ち対応できます。
 
僕はこの本のおかげで「アメリカからどう日本にアプローチすればいいのか」のヒントをたくさん得ました。
 
YouTubeを始めた頃にもらった知り合いからの批判
 
「お前は新興宗教か!」「俺の周りも胡散臭いと言っている」「学術的に間違っている」「日本のドラマー界を邪魔するな」や「女癖が昔から悪いんだよ!」これらに今では上手に対応できています。(最後のは否定できません、、。)
 
この先、日本に帰った時に自分の精神状態を保ちハイクオリティーな演奏やストレスの少ない日常を送るかの指針になる事は間違いなさそうです。
 
長いブログ最後までありがとうございました!
 
他にも自信をモチーフにしたブログ書いています!
 
「自信とリズムの関係」
 
LAから桐沢でした!

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